R筋

プログラミング、金融、育児

責任より愛のほうが大事じゃ

息子は最近5歳になりました。僕はもとから子供が得意ではないという自覚があったけど、まだ赤ちゃんの相手とかは、パターンがなんとなく確立できるのでなんとかなっていた。ただこれくらいの年齢になってくると、それなりに人格ができてきていよいよ接し方が難しく感じる。わがままはどこまで許容し、どこからは叱るべきか、叱るにしてもどうやって叱ればいいのか、良くない言葉を使うとき、からかってくるとき、大声で泣きわめくとき、色々な場面があり、なにしても正解の対応がみつからない状況が多い。
一方、最近妻はそういうときの対応が上手で関心する場面が多い。教育関連の仕事をしているので、もともとノウハウがあるようだが、それ以上に、様々なパターンをうまく治めている要因は愛をもって接するということのようだ。

この年頃の子供は、愛情を試すということをしてくる。やるなということをやったり、理不尽にわがままを言うのは、それを受け入れてくれるのか親の愛情を試しているのだと妻は言っていた。
僕の在宅勤務中に何度もPCのマウスを奪われた。その都度叱っては、取り返すという攻防を繰り広げていたわけだが、それはやはり子供にとっては、在宅勤務の間、僕が大切にしているのはマウスのように映り、それを奪ったときに自分を選ぶか、マウスを選ぶかということを試していたのではないかと思った。ほかにおもちゃもいっぱいあって、大して楽しくもないマウスを持っていくというのは、気を引くため以外ないのだから、「こら!」といって取り返すだけではなく、その場で息子がマウスより大切な存在であることを説明して、それでも在宅勤務時間中はマウスを使う必要があることも説明して、理解を得るという対応が必要だったのかもしれない。

以前も書いたが、10代になって非行に走る子供は無条件の愛をもって受け入れられていないということが多い。その原因は、まず愛されない理由を作って自分を守る必要があるからだそうだ。深夜まで遊ぶ、人のものを盗むなど親や周囲に迷惑をかけることは「そういう直接的な原因があって自分は嫌われている=だから愛されていないのは仕方ない」という自分の納得のたの自分を守るための行動となっている。おりこうに過ごしていて愛されない場合に、自分自身が否定されることになってしまうから、自分は非行をしているから愛されないという納得を求めてしまうのだ。また非行をはたらくことで、周囲の大人がすくならかず手を焼く必要が生じ、自分のことをかまってくれているという感覚を得られるという効果もあるだろう。それらを繰り返して、戻れないところまできてしまう。

この行為の初期段階はすでに5歳児にも見ることができて、強く叱られれば叱られるほど、悪い行動を繰り返す。叱られたことで自分への愛が心配になって、何度も愛を試したいという心理なのではないか。

重松清の「とんび」という小説が好きで何度も読んでいるが、こんなシーンがあった。息子が部活動で問題を起こしたときに、シングルファザーの主人公が呼ばれ、被害者の親から退部届を書くように言れるが、それを突っぱねたあとのやり取り。
「甘いことをされたら困りますな」
「アホかわりゃ。親が子供を甘やかさんかったら誰が甘やかすんなアホ。」
「親の責任はどうするんですか?」
「責任?責任より愛のほうが大事じゃ」

仕事中にマウスを奪わない。床に食べ物を落とさない。クレヨンしんちゃんを3話以上見ない。ちんちんって言わない。。いずれも将来のために大切な教育であり、親にはそういう指導をする責任があるが、なによりも大切なものは愛であることを忘れてはいけない。
(言うのは簡単。みんな頑張れ!)