R筋

プログラミング、金融、育児

退屈な親、寛容な大人について

最近思うことをとりとめなく・・・・。
大した内容はありません。

「君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなにイケてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。」
ビル・ゲイツが言った言葉らしい。彼ならお金の力ですべて解決できそうなものの、そういう庶民の家庭の事情もよく分かっていてくれているからこそ、大富豪になれたのかもね。

今でこそ親の立場で、親には親の事情があることはよく分かるが確かに子供の頃は両親のことをつまらない人間だなと感じていた。でも実家の押入れから出てきた、自分が生まれる前の両親が若い頃二人で旅行している写真などを見たときに感じた不思議な感覚というのはまさにそれで、例外はいるだろうけど、親という選択は、自分の時間とお金の多くを自分のため以外に割くことで、退屈な人間になることを当たり前に選ぶ行為だ。

「選択する」と言っても、大半の人は覚悟を持って決意するようなことはしておらず、無意識にまぁ仕方ないなという自分自身の納得を以て退屈人間になったと思う。僕はそうだ。
だけどそういうときに悩ましいのは、その後の自分の人生において「ここぞ!」という仕事があったり、挑戦があったときにどうすればいいんだろうね。

思い出すのは、だいぶ前だが朝ドラ「半分、青い」で、ヒロインと結婚した映画監督志望の男が、娘の5歳の誕生日に「(芸術を追求する)夢のために、家族は邪魔になる」といって離婚を申し出たシーン。思わず「ひど・・」と言ってしまったが、世の中の大半も茅野愛衣側につくだろう。
まぁ自分の場合、目下の、家事育児との両立に絡む悩みは別に人生をかけた挑戦でもないし、比べるようなことではないんだけど。

世の中の凡人たちが、仕事と家庭のバランスを取る方法は、妻との家事の分担。休日の育児の当番制などの運用によって解決できる問題が大半だ。そこにも年収、働き方、子供の年齢、性格、発達状況等様々な各家庭の前提条件があって、万能な解決策などはなく、夫婦のいざこざの納得方法はググってもどこにも解決策は書いていない。だから離婚によって解決する人も、それ以外の方法で解決する人も、「諦める」という解決を選ぶ人も、彼らの選択にいずれも外野が文句を言うべきものではない。

自分がたまたま恵まれていただけなのかもしれないが、自分の周りの人は年齢が上がるとそういうことに対して寛容になる人が増えるなぁと感じる。育児はそれを学べる一つの方法で、理不尽なことやどうしようもないことを経験している人は、他の人の至らないところに対して寛容で、「みんなそれぞれ事情がある」ことを前提に仕事を回して
くれているように思う。育児に限らず、介護や場合によっては過去の問題がある労働環境なども学びを得る場なのかもしれない。いずれにしても、例外はあるだろうが年齢とともに寛容になる人が多いというのは自分の観測範囲での結論だ。
自分も20代とかは「働かないおじさんムカつくよな」とかいう不満を持ったりしたこともあったが、最近は自分が大きく被害を受けない限りは、働かない人がいても何も感じることはなくなった。その人にはその人の事情があるのだろうから。

世の中全体の働き方が良くなっているというのも大きい。それによって、これからの日本が大きく成長することはなくなってしまうのかもしれないが、周りが寛容であれば、みんな自分でできる範囲で頑張って、自分のペースで結果をだすことで十分な満足が得られる社会を作れる。そういったできることをやったという満足感は、最終的には全体にとってもよい効果をもたらすはずであり、みんなを無理やり管理して、他人が決めた目標を達成させることよりも大きな成長をもたらすこともあるのではないだろうか。

ストイックで自分にも周りにも厳しく、なにかに打ち込んでいる人はすごいかっこよく見えるかもしれないが、みんながそれをできるわけではない。寛容な大人は子供からみると退屈な人間に見えてしまうのだ。

冒頭のビル・ゲイツの言葉は、次の一文に続いている。「親の時代から生存する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。」