人生に影響与えたかもしれない言葉とか
技術ブログをやろうと思っていたのに最近の投稿ポエミーなものばっかりになっているような気もするが、アフィも貼りたいしそれもまたよし。
・「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」
ウルフルズの曲。普段音楽を聞いたりはほとんどしないんだけど、多かれ少なかれ人生の節目に来たときにこの曲を思い出すし聞きたくなる。
今はどの辺りだろう
どの辺まで来ただろう
僕の人生の今は何章目ぐらいだろう
普段の生活の中では、目の前のことにしか目が行かないわけだけど、良いときも悪いときも一旦立ち止まって、この歌詞のような問いかけを自分にすると冷静に判断ができるような気がする。
今自分が人生の何章目にいるのかということを考えると、「まだまだ序章、ここは攻めよう」なんて思ったりね。
誰かのツイート
あれほど連れて行った公園も水族館も遊園地も息子氏は全くおぼえていない。子供のためだから仕方ないやと出かけていたあの夏休みの日々は親の記憶のためにあったんだと今になって思う
— ヲノサトル (@wonosatoru) 2021年7月25日
最近、印象深かった誰かのツイート。自分も孤独な老人になって、昔のことを思い出すくらいしかすることがない日々がくるだろうから、写真をたくさんとって映像としても残しておかないといけないなぁと思った。
老後はきっと長い。息子の0歳から10歳まで24時間365日撮っておいても、老後70歳から80歳までの間に見終わったら、もうその後することがない。
なんならすでに息子から「ここ前も来たことあるよね」とか言われて何も思い出せなかったりすることもあって、記憶力が終わり始めているので、ボケ防止にも思い出を大切にする必要がある。
「そのひと言が言えたなら、この先ずっと誇れる自分でいられた。同じ場面を与えられることは二度とない。その一瞬一瞬に、人の生きざまは決まるのだ。
昔読んだ小説。横山秀夫「クライマーズ・ハイ」の一節。みんな夜に一日の出来事を思い出すときに「あそこでああ言っとけばよかった」とか思うことがあるんじゃないかと思うけど、僕はいつもそこでこの一文を思い出す。
自分も恥の多い人生のため、勇気がでないとかプライドが邪魔するとかいろいろな理由で、「あのとき」の後悔が湧いてくることもあるが、もうそれはどうすることもできない。
その場面において自分の言動に後悔がないものかを判断していくしかないわけで、そこに必要なのは自分の軸があることと、それに忠実に動くということなのだろう。

