R筋

プログラミングと時々育児

皆さん優しい心を育みましょうね

息子が少しづつ言葉を話し、意思疎通ができるようになってきた。息子も息子の考えがあって、その考えに基づいて言葉を発しているのだなぁと感じる場面があり、しみじみすることがなんどかあった。その中でも特に衝撃を受けるときっていうのは、僕がもう無くしてしまった優しい心を息子はまだ持っているんだなぁという場面である。自分が少しでも優しい心を取り戻せるように、印象に残っているエピソードを2つここに記し、折に触れて見返すことにしようと思う。

光る星のおもちゃの話。
5個セットの光る星のおもちゃを買ってきて、息子と遊んでいたときのこと。僕、妻、息子の間で「はいどうぞー」「ちょうだいー」などといい、その星をやりとりしていたのだが、優しい心を失った僕は、この5個を妻、僕、息子の3人で分けようという提案をしたらどう分けるのだろうという、いじわるな発想が湧いてきた。そこで、その5つの星を「1個目は、わっちゃん(息子)の」といって1つ息子に渡し、「2個目は、とと(僕)の」といって1つ自分の前に置き、「3個目はかか(妻)の」といって1つ妻の前に置いた。その上で「あと2個どうしたらいい?だれにあげよっか?」と息子に訪ねた。この時点では、「全部、わっちゃんの!」とって残りを自分のものにするだろう(自分ならそうする)と思っていたのだが、息子は「これは、じじの!」「これは、ばばの!」といって、別居しておりその場にいない祖父、祖母用の星にしたのであった。大人が思いつく優しい心なら「これはとと、これはかか」と目の前の2人に残りをあげるというのが限界だろう。本当に優しい心の持ち主は、その場にいるか(同居しているか)いないかという点で制限をかけることになんの意味もなく、どこにいてもwe are the world

さるかに合戦の話。
さるかに合戦の本を読んであげていたときのこと。冒頭で、さるに柿を投げつけられ、カニが死んでしまうシーンがあるが、これがラストでさるに仕返しする理由であることをしっかり伝えねばと思った僕は、執拗に息子にそのシーンを解説した。「さるの柿がバーン!ってあたっちゃったの」「カニがイテテテ~!って言ってるの」「こまったねぇ」などと話していると、だんだん息子の表情が険しくなり、カニが死んでしまうことの深刻さが伝わったようであったので続きの、栗と臼と蜂とウンチに合うシーンに進もうとしたところ、息子は本を奪い「戻して戻して」と前のページへ戻した。そこでは、死ぬ前の元気なカニがいてサルから柿の種とおにぎりの交換を持ちかけられているシーンであった。それを見た息子は満足そうな表情に戻り、本を閉じたのであった。大人の発想は、さるへの仕返しという物語のゴールがあって、それに向けてカニは死ぬ必然があるため、カニが死ぬ際、悲しみを覚えても疑問を持つことはない。気にしているのは、仕返しが成功し、さるが確実に死ぬことである。だがそこに残るのは、さるとカニ2つの死骸でである。日本人は敵討ちが好きなどという話をよく聞くが、そもそも敵討ちをする理由が生まれないようにする、未然に対処しようという発想は大人にはないのか!さるかに合戦とは物語ではなく、合戦である。合戦反対!we are the world!